『雲間』

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『雲間』

東京に住んでいるが故郷は北海道で、かなりの頻度で帰省をしている。

この写真は2019年の年末に帰省した際に飛行機の中から撮影したものだ。

 

何度も見ているこの景色、羽田の34Rから離陸すると必ず眼下には東京タワー・レインボーブリッジ・お台場・そして遠くにはスカイツリーが見える。(A席からの景色)

 The東京ともいえるような景色。この景色を見るのを私は毎回楽しみにしていた。

この時もいつも通りこの景色を眺め、ただただ綺麗だなあという感想を抱きつつ、シャッターを切っていた。しかし、最後にあと一枚、と思った瞬間に飛行機が雲の中に入り、急にこの景色は眼前から姿を消した。

その瞬間、なぜだか急にこの夜景を作っている光が「儚」いもののように感じた。そしてこの飛行機が行く先とは全く違う世界なのではないかと感じた。別に着く先も千歳であり、札幌と東京が大きく違うわけではないとはわかっているにもかかわらず。雲から抜けた先に広がる夜景もそう大きく何かが違うわけではないのに。

 

なんでそう思ったのかはいまだによくわからない。

 

ただ、この「儚」という漢字に何か惹かれた。

人の夢と書いてはかない。なぜそう読み、そんな意味を持たせたのか。

 

一つの参考として次の文章を取り上げる。

 

「儚」を「はかない」と訓読みするのは、「人の世は夢のごとし」という考えから来ているのだと思います。この場合の「夢」は、「夢まぼろし」ということばがあるように、現実にはならないものを指しているわけです。

出典:漢字文化資料館(https://kanjibunka.com/kanji-faq/mean/q0293/

 

「人の世は夢のごとし」。別に何も宗教的にどうこう言いたいわけでは全くない。

しかし、東京の夜景を作っているこの光はまさに「夢のごとし」、誰もがそこにその光があることが当たり前と思っているが、その光はいつ消え去ってもおかしくはないものであることを忘れてはいけない気がする。

色々と騒がれている今、気持ちが立ってしまいがちにはなるが、そもそもこの世界が夢のようなものだと思えば、今ここに何かが存在することに感謝の気持ちをもって、もう少しゆっくりした気持ちを持ちたいと思う。

もしかしたら、先人の知恵に頼ってみるとまた何か発見があるのかもしれないと思う。

 

カメラ:Nikon Z50

レンズ:NIKKOR Z DX 16-50mm

撮影地:羽田空港上空(NH77便より)

2019年

2019年。

色々なところに行った1年だった。

北は北海道から南は沖縄まで、この1年は今までの人生の中でもないくらいたくさんの場所の景色を見て、写真を撮って歩いた。

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冬は北海道。北海道で18年生きてきたが一度も見たことがなかった流氷を見にオホーツクへ。寒さはもちろんあったが、それ以上の景色がそこにあった。

f:id:tomoria:20191231134651j:plain春はなかなかどこにも行けなったが、桜をはじめとした花がきれいに咲いている景色が目に焼き付く。

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夏は九州。ただただ暑かったが、海、川の青さと緑のコントラストはなかなかにきれいだった。

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秋は伊豆。夕焼けに染まった富士山。これぞ日本という景色を恥ずかしながら生まれて初めて眺めた。

 

このほかにも本当にたくさんのところを訪れることができた1年だった。

一緒に旅に出てくれた仲間や、旅先で出会ったすべての人に感謝をしつつ、来年2020年もまたいろいろなところに行きたいと思う。

『10月29日』

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『10月29日』とタイトルをつけて写真展に出した写真。

なんの変哲もない写真で誰の目に止まらなくても構わないと思った。『10月29日』に撮った写真。もっと詳しくいえば2016年10月29日。自分にとってとても大切な日だった日付だ。そして「大切だった」ことを忘れてはいけないと思って、今年この写真を作った。

 

私には2年半付き合った彼女がいた。その彼女とは今年の夏にお別れした。2016年10月29日は、まさに付き合った日、2人で寒風吹き付ける公園を1日歩き回った日だった。

 

別れを告げたのは他でもない自分である。別れを告げようと考え始めてから数ヶ月間、もうその存在さえも忘れてしまいたいとまで思った瞬間もあった。しかしながら、自分のその勝手な願いがどれほどまでに彼女を苦しめ、悲しい思いをさせたのかを、彼女からの最後の連絡で私は知った。その思いを取り返すことは決してできない。だが、少なくとも2年半もの間、一番近くにいた彼女の思いをただ冒涜することがどれほど罪であるかをなんとなくながら理解した。

 

今の自分にできることは何か。そう考えたときに、唯一思い浮かんだことが、その思いを忘れないということだった。自分と彼女を繋いだ写真という媒体にのせて、その思いを忘れずにいるということならば今の自分にでもできる、そう思ったのである。

だから、この写真は『10月29日』であって、「色褪せた、あの日の思い出」なのである。

実際につけたキャプションに一言だけ続きを書き加えるならば、

「色褪せた、あの日の思い出に私は手をついて謝りたい。」

 

使用機材:Nikon D5300 + AF-S NIKKOR 55-200mm f/4-5.6 G Ⅱ ED

『朴訥』

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今年もまた同じような写真を撮った。

『朴訥』というタイトルをつけて写真展(学内の)にまで出してしまった。

地元の駅のいつもの光景。「出発指示」を出す駅員さんのかっこよさに気づいてからいつも同じような写真を撮り続けていた。

 

前に同じような写真を撮ったのは少なくとも記憶にある中では今年の春。そしてこの写真は11月の頭に撮った。たった半年しか経っていないが、これでもかというほどに自分の気持ちの変化を突きつけられた。

 

今までならきっと『出発』だのなんだの、列車を主題に写真を撮って作品にしていた気がする。でも今回は『朴訥』なのだ。あくまで主題は駅員であって列車ではない。もっといえば、ただ1人で寒風吹き付ける駅のホームでただひたすらに列車を見守る駅員が主題なのである。決して、何人もホームに駅員がいたり多くの乗客がいたりしてはこの写真は(少なくとも自分の心情的には)成り立たないのだ。

 

札幌駅は今でも駅員の出発指示がなければ列車は出発できないようになっている(はずである)。つまり、ただ1人でホームに立ち続けている彼が響かせる「出発指示」の合図がなければ何も始まらないのだ。

私はこの彼の姿に心を惹かれた。別段(私のような鉄道マニアを除けば)誰にもその仕事を注目されるわけでもなくただひたすらに仕事をこなす彼のようになりたいと思った。

 

人間はある種、承認欲求を満たされたいという思いを抱え続けて生きている。他人の承認欲求ばかり満たされていくように感じるときもある。大抵の場合、自分の欲求は満たされていないと感じることが多い。

それでも、ただひたすら真っ直ぐに、自分の欲求がたとえ満たされないとしても、自分のすべきことをこなすということは決して簡単ではないが、とてつもなくかっこよく思えた。

そこで誰かに認められることがないとしても、自分が正しいと思う道をただひたすらに進んでいけるような強い人間になりたいと改めて思うきっかけとなった。

 

だから、『朴訥』なのであって、響くのではなく響かせるベルに思いを乗せたのである。

初めての記事。

はじめまして。青いネクタイと申します。

ただ普通の大学生。写真を撮ったり旅に出たり。

このブログでは、写真のこと、旅のこと、そしてただ思ったことをつらつらと書き連ねていくつもりでいます。

更新頻度もバラバラになるような気はしますが、これからどうぞよろしくお願いします。